一般教養

ここ最近で1番凹んだ出来事の話

 

クイズゲームで、小説『こころ』『坊っちゃん』等を記した人は誰?という問題を目の当たりにした。そんな私の答えが

 

宮沢賢治

 

隣にいた友人にドン引きされた。自分でもなんでこんな事が分からないんだろうと思ったし。クイズゲームなんてやってる場合じゃないなあと思った。(答えは夏目漱石)

 

教養が足りないと焦りを感じた自分は、読書をするようになった。

 

教養は、読書という行為の一部分に必ず存在する、と私の今の教養が教えてくれた。

 

それでも夏目漱石が分からないのは読書してるかどうかではない、義務教育+高校課程12年間のうち6年を棒に振った事の反動故であるからだと身を以て味わった瞬間。

 

それでいて今自分は浪人の仮面を被ったニートのような生活をしている

 

私から勉強取ったらニートだからね。予備校生なんて気が狂っても自称できない

 

高校時代の同級生達がするツイートを見かける。bio欄にはutsだのutlだの。自分が大学受かった頃にはあいつらはその遥か先にいるだろうし、少なくとも今この人達を見上げても惨めなだけ。私は敗北者である。

 

周りの躍動感は自分の惨めさを映し出す鏡のよう。今、戦うべきは年下の受験生、同い年、年上の浪人生ではなく、自分の脳内に巣食う"怠惰の番人"なんだよね。こいつを打ち負かした時には敵なし。

 

でもこいつは強敵。主にハードル下げる事を勧めて攻撃してくる。本当にただそれだけ。明日やればいっか、もう終いにしよう、勉強面倒くさいなあと。

 

それに対して今の自分に与えられた手段は"ケツイ"。

 

自分が大学に行きたい明確な理由がない、あるとしたら中高一貫のいい学校に通ってたからとかいうクソしょうもないもの。それと関係するのか分からんが覚悟ってもんがない。1番東大に行きたいと思ってたの小4の時だと思う、それもイチローになりたい!みたいな漠然とした夢

 

勉強するより遊んでた方が少なくともその時は楽しいじゃん、長い目で見たら逆転しそうなものだけど。

 

自分の未来がよく見えてないから、その時の楽しい楽しくないで物事を判断するんだろうな。

 

未来の見えない自分視点で今の状況を翻訳すると、嫌な食べ物を如何に我慢できるか。私は胡瓜が嫌いでしょうがないが、そんな私が1年間1日3食胡瓜を我慢出来るかどうか。

 

そのオマケに明るい未来が見えるかもしれない。少なくとも我慢しなかった時よりは見えやすいだろうな

 

オマケの中身は自分には分からない。その先に海鮮丼があるかもしれないし、胡瓜が待ってるかもしれないが、我慢を積み重ねた方が海鮮丼の出現率がアップする。

 

周りを見る前に自分を磨いてから。それから周りも見ても遅くはならないだろう

 

今の生活を、この浪人生活を、周りに追いつく為の、失われた6年間の埋め合わせではなく、この先数十年への自分に対する投資としたい。

 

前者後者共に内容は同じでも、捉え方を変えられたらな、と

 

その投資がどう傾くかは、未来の自分にお任せしよう。